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靴の街浅草の紹介

浅草はいろんな顔を持っている街。

 浅草にはとても長い歴史があります。遡れば推古天皇の頃からあると言われているのでとんでもなく長い歴史です。もう1400年も経っていることになりなります。浅草って名前の由来は背の低い草がいっぱいはえていたからなんでしょう。

 浅草はまた歴史だけではなく、長い間繁華街だったお蔭でいろんな面を持っています。 浅草と言えば誰もが思いつくのが観音様で有名な浅草寺でしょう。浅草(あさくさ)にあって読み方が浅草(せんそう)寺というのも不思議ですが。浅草寺の歴史は長く浅草の歴史そのもので、推古天皇の時代からあったと言われています。

 浅草寺の周りは、浅草寺にやってきた人たちが楽しめるように見所が沢山ありますね。雷門や仲見世通り、三社祭は浅草寺の横の浅草神社のお祭りですし、ちょっと元気なところでは浅草サンバカーニバルも毎年人気です。


 それから隅田公園。桜の頃春のお花見と言えば隅田公園。「春のうら〜らの隅田川・・・・」、両岸に桜が咲き誇っている様が目に浮かびます。毎年桜祭りが開催され、日本さくら名所100選にも選ばれている名所です。隅田公園に因んで言えば墨田川の花火大会は日本で一番有名な花火大会と言っていいと思います。。


 また左党派には神谷バー。浅草に住む人間の人生模様が映し出されて来たスポット。住所も「浅草1−1−1」。象徴的で開店して130年続いています。 明治時代に建てられ関東大震災で倒壊した凌雲閣。日本初の電動エレベータが設けられた12階建ての高層ビルでした。そういえば今や世界一の高さを誇る電波塔として東京スカイツリーはこの凌雲閣の生まれ変わりかもしれません。

他にも合羽橋や演芸場や酉の市など東京の下町の風情を残すものがまだまだありますね。


そして、この浅草こそが実は日本が誇る「靴の街」であるのです。

浅草では江戸時代以前から靴作りはなされていたのですが、特に明治時代以降浅草は日本でトップクラスの靴の生産地となり発展してきました。そのわけは、浅草には靴作りにとって良い条件が揃っていたからです。

靴作りは一つの会社で何から何までが出来るものじゃありません。材料になる革が必要で、先ず革が調達しやすくないといけない。調達しただけではダメで鞣す職人もいないと靴は出来ない。道具もいります。革を鞣すタンナーさんから、靴作りに必要な独特な道具を扱う道具屋さんもいなければいけません。また出来上がった靴を全国に卸す卸屋さんや仲買さんたちも必要です。そして浅草にはこれら全部揃っていんですね。これらの方たちが連携し力を合わせ合って浅草ではヒロエ・シューズを始め多くの靴のメーカーがしのぎを削って全国に靴の街・浅草を有名にしてきたのです。

そして靴を品質面から見たときも、日本製の良さを持った靴作りをしようとするとここ浅草のように靴作りに必要な要素を全部持っている地域でなければ、コストもかかり品質を保持することもむずかしくなります。純国産、日本製の靴をコストを抑えて良い品を提供できる街、それが浅草なのです。



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